摂食障害の名残
食べて絶食を繰り返していた頃のことをぼんやり思う。
始めは、単純に痩せたくて、食事を減らして動いたら体重計の数字がみるみる減っていくのが嬉しかった。「あれは食べない、これも食べない、これは多すぎる!」と親に文句ばかり言って、当時関係が微妙になってしまったけど。
でもそのうちその生活を維持できなくなって、過食して吐けない代わりに絶食する、絶食も続けられずまた過食する、のパターンにはまっていった。もともと腎臓が弱いのも相まって尋常じゃなく浮腫み、また痩せにくい身体になった。そして前を向きにくい心になった。
一人で食べるのが怖かった。でも誰にも食べてるところを見られたくなかった。でも誰かと満たされる時間を過ごしたかった。
今は随分穏やかになった。
正直悲しみや寂しさを食にぶつけることは、もうほぼない。ほぼ、だけど。。
自分のことを少しずつ認められるようになってきたし、「まあ、いっか!」と思えるようになってきた。
でもひとつ、「あー、名残があるなあ」と思うことがある。
わたしは体重計に乗れない。
乗ろうとすると、昔の苦しかったことがわーっと湧き上がって、心が停止してしまいそうになる。数年前働きすぎて体を壊した時期、病院で乗ったら身体が震えて、その後人生で最高の血圧を叩き出してしまった。笑 笑えない話である。
その後の先生の話は全然覚えていない。
家に着いてからもずっと、「どうしようどうしよう」ばかり考えていた。
乗らなきゃ死ぬようなことじゃないんだけど、19歳頃から春夏にかけて襲ってくる強烈な目眩発作を治したい。そのために漢方薬局に行って、ちゃんと診断して体質改善をしたい。そのためのカルテが必要なのだ。
身長、体重、年齢、生活習慣、諸々のデータ。
それを作るために、たった一度だけ乗ればいいのに。
そんなこともあるよ、と自分に語りかけてみる。乗れないから、太ってるから、不細工だから、だから云々じゃないよ。と。
自分を大切に扱ってあげる。
丁寧な言葉をかけてあげる。
これが自分にとって、弱った心を立て直す一番の近道だということはわかっていて、地道に繰り返している最中である。
来年の目標は、体重計に乗って、
カルテになる問診票を書くことにしようかなぁー。めまい、治したいな。