あおいうず

「自分を大切にする」ってどういうことか試していく記録です。思ったこととか書きます。

「そしたらわたしは生きるのをやめます」って言ったけど、生きてる話。


自分の思い通りに動けないことを、または誰かが動いてくれないことに対して、

まずそうであることを受け入れたい。

 

例えば本来の道からずれてしまっているとわかっていても、今はちゃんと向き合う力がないのだと、時が満ちていないだけで、きっとまた望む道を歩けるのだと、信じたい。

 

そして、あなたの選択はわたしの選択ではないし、わたしの思い通りになどいくはずもない。わたしが自由であるように、あなたも自由である。だからきっとあなたが歩む道は今のあなたに必要なのそれなのだと。あなたは自分の力で歩くことができるのだと、信じたい。


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(イクイリブリアムボトルとクリスタル。見ているだけで神聖な気分にさせてくれる。普通に手に取っているけど水晶ってわたしが生まれるずーーーーっと前から存在しているから、とても不思議で、敬意を払うべきものだと思う。)

 

 

去年の7月、懐かしい場所を訪れ、そこで所謂""わかってしまう人""に出会った。

彼はわたしに「まだ苦しみは終わらないし、なんならもっとしんどくなるよ。」と言った。

当時受け入れられないほどに心を病んでいた(と思っていた)わたしは「無理ですね。そしたらわたしは生きるのを止めます。」と即答した。

 

まだこれ以上しんどくなる意味がわからなかったし、何がなんだかわかんないくらい涙が止まらなかった。わたしはどこまで惨めにならなければいけないと言うんだろう。

 

そして宣言された通りわたしの苦しみは更に加速した。何があったかはいつか少しずつ書けたらいいなと思うけれど、とにかく尋常じゃない心身の辛さを経験した。

わたしはいきることを止めますと言ったけれど、自死を選ぶまでもなく、勝手に向こうから近寄ってきてくれてるなあと感じるくらい、うまく表現できないけれど、“死”が見えた。あまりにも静かだけど、でも心身のストレスは確実に死を手繰り寄せる。確実に。

 

傷つきたくないからと築き上げた自分がその価値観が崩壊していくのを わたしは見つめていた。そろそろだな、と気づいているのにわたしは笑顔を作ることをやめられなかった。傷つきたくなかったからだ。つまり嫌われたくなかったから。

 

けれど不思議なもので、同じ時期にたくさんの助言者に出会うことができた。まるで最初からすべてプログラミングされていたかのように、必要なときに必要な言葉を与えてくれた人たち。

 

そこでわかったのはこうだ。

たくさんあった学びだけど、少しずつ書いていきたい。

 

・傷つきたくないと思っていたのは傷ついているから。

・傷つけようとするのもそうしてしまうのも、傷ついているから。

 

つまりわたしは傷ついていたんだな、ということ。

強い自分でありたいと思うのは既に弱っていたからだ。

ずっと自分に嘘を吐いていたせいで、それが自分だと思い込んでいたせいで、そうでなければならない出来事を自ら掴みとっていた、みたいな感じ。(ちなみにわたしは引き寄せの法則や波長の法則の信者だ)

彼がいう、「しんどくなる」は、「今のままだとまだまだ引き寄せるよ。(変わらないとずっとしんどいままだよ)」という意味だったのかもしれない。

今度また会えたら聞いてみたいなと思う。

 

そんなこんなを気づいたあたりで これまた見計らったように身体がだめになった。お仕事が健全にできなくなっちゃった。強制的に人生のお休み期間みたいな感じが今。

今までの人生を見直して整理するような、そんな時間を過ごせたらいいと思う。

 

傷だらけになってしまったけれど、そうだと気付けた。自分が今そうなのだと、受け入れたい。癒しって、たぶんここから始まるのだと思う。