休職7日目。
休職が始まって7日目を迎えた。
6日目の昨日は、マッサージの練習会にお邪魔させてもらっていた。
師のお家にセラピストが集まって、変わりばんこで2時間ずつくらい。
ゆったりした時間にゆったりのマッサージ。体も全然しんどくなくて、
よく触ってよく笑ってよく触って貰った1日。夜は持ち寄りの飲み会。
わたしは飲まなかったけれど、楽しい夜だった。
帰りは夜の鴨川を眺めて風に当たって、こんな夜がいつもあればいいなと思った。
そんな生き方を選び取っていきたいな。
そして今日、朝起きたら眩暈が止まらず・・・。(笑)
喉もガンガン痛い。
たぶん、数日前にバカみたいに雨に濡れちゃったのがいけなかったなぁ・・・なんて思いながら お手伝いごめんなさい行けませんとLINEを打つ。
あー やっちゃったな。と思いながら歯を磨く、頭が痛い。
でも、心配してくれた仲間のメッセージが暖かくて 痛む喉に染みわたるようだった。
わたしがすぐに「返信しなきゃ!」と思ってしまうタイプなのを見越して「返信いいからね」って先回りしてくれるやさしさ。恵まれているんだなぁ、と思う。
昔から体調を崩してもあまり家族には心配されないタイプだった。
この言い方は多少極端かもしれないけれど、男尊女卑思考に近い母親の下で育ったおかげで 何かあるたび兄や父親が同じ状況なら違ったのだろうな と卑屈になってしまう。わたしごときに掛ける心配はないのだと。かわいげのない女だなと思う。
そしてなんでも平気そうにしてしまう癖も手に入れた。
でも、大学で一度家を出て、社会人になって付き合う人たちが増えると、
あ、そうでもないのかなと思えるようになった。彼らはわたしのくだらない癖も、ちゃんと見抜いてくれていた。
「大丈夫?」という言葉はそこに心があるないで大きくエネルギーが変わるものなのかもしれないけれど、一瞬だけでも気にかけて貰えるのがうれしかった。
一番に欲しいと思っていた人から貰えなかった言葉でも、
場所を変え環境が変われば、受け取れるようになるのかな。
家族より仲間の前で泣いたりしんどいと言える回数が増えた。
両親がわたしに掛けてくれた愛情もたくさんあったことは重々理解しているつもりでも、
いつしか「どうしてあの時××したの?」がよぎるようになった。
もっとわたしを大切にしてよ。
もっとわたしに言葉をちょうだい。
もっと、もっと
いまだ幼い子どものように泣いてみたくなるときがある。
母親に叱られて泣き叫ぶ子供を見て、一緒に泣きたくなる。
不安が押し寄せる。何がなんだかわからないけど泣きたくなる。
「ごめんなさい」と思いながらその場から去ってしまうけれど、
何がごめんなさいなのだろうか。
わたしの歴史に何があったんだろう、いつからこんな風になってしまったのか
わからない。
でもたぶん、今わかっているのは誰かにそんな言葉を投げるより、
自分でしてあげる法が手っ取り早くて、幸せなんだろうな、ってこと。
言うだけなら簡単だけど・・・。
過去を振り返るのが怖いから、向き合えなくて立ちすくむ自分がいる。