休職18日目。
14日から東京に来ている。
来た日から今日まで 今のところ全日誰かと会えていて、呼んでもらえていて、本当に有難いなぁ と思う。
わたしの原点はいつだって絶望であったけれど、
そんなわたしの話を聞きたいと言ってくれる人たちがいる。
だから、それでも良かったのかもと思えるようになった。良かったのかも、いや、それで良かったのだ。
大阪を発つ前、「いろんな考え方に触れておいで」と言われた。来てからも「知らない考え方を取り込んで、生きやすくするんだよ」と言われた。
わたしの凝り固まったパワーメンヘラ脳が、ゆっくりと溶けていく。
自分を抑えて生きるのと、
自分をちゃんと生きるってこと。
自由に生きるってことは、その代わり誰かを傷つけるってこと。だからわたしは自由を拒み、自分に嘘をついてきた。
けれども たぶん、こうだ。
自分を抑えた時、それは同時に生まれた感情にも蓋をする。わたしさえ我慢すれば、、けれども溢れ出そうな感情はオーラみたいな感じできっと回りに伝わっている。それによって不愉快に思う人も出てくるだろう。そしてその抑圧はなかなか消えてはくれない。
自分を生きる。その時そのときの感情に、蓋をせず、出しきってしまう。剥き出しの感情は刃となって誰かを傷つけるかもしれない。
でも自分の中で完結させることはできる。
たぶん、どっちにしろ傷つけるのだ。
これからどちらを選ぶのか、まだわたしの中で答えは出せないけれど。どちらが善か悪かをジャッジするつもりもない。
でも、極端にならない程度に、自分だって大切にしたい。
静かな海辺で どこまでも自由な人のマッサージを受けた。
「人生なんて死ぬまでの思い出作りだからさ」と語る彼は楽しそうだった。
have to, mustに固められたわたしに「やらなきゃいけないことなんかないよ。やりたきゃやればいいんじゃない?」と言ってくれた。
やりたいからやる。やりたくないからやらない。
もはやここまでシンプルに生きている。
そうするとシンプルな人たちが集まってくる。
やりたいからやる、やりたくないからやらないがうまくバランスを取って、不思議と自由な世界ができる。
わたしもはやくそこへ行きたい。